中国人の情熱

「お近くにお寄りの節は、是非とも我が家にお立ち寄り下さい」
 日本人がよく使う社交辞令である。中国人の日本語学習者はしばらくすると、これは日本人の儀礼だから決して本気にしてはいけないと教えられる。日本人の言葉を本気にして知人宅を訪問し、怪訝そうな顔をされ、困惑した中国人の話が笑い話として登場するのだ。
 中国ではこのような社交辞令はない。自宅に招待するのは相当信頼している証拠だから、断らずにむしろ喜んで出かけていったほうがいい。もちろん手ぶらでは困るが。このような文化に慣れている中国人が日本にやってくると、つい中国人の考え方で行動してしまい、恥をかいてしまうことがあるという。
 中国人と長く付き合っていてしだいに分かってくるのは、中国人は情熱家ということだ。ひととの付き合いを非常に大切にする。極端に言えば、日本人は相手の肩書きを見つつ少しずつ付き合いがちであるが、中国人は国際的な舞台でも積極的に人的ネットワークを広げようと努力している。日本人はシャイで、中国人は大胆である。日本人は組織志向で、中国人はオープンマインドである。アメリカ人は気軽に外国人に話しかけるように、中国人も友達を作るのがうまい。
 日本人が学校や会社や国への忠誠心が強いのは、組織がうまく機能している限り、組織志向でありさえすれば、組織が個人を守ってくれたからである。しかし、中国では組織や国家は人民を管理するために機能してきた側面が強い。中国人は家族や親戚や知人を頼りにしなければ、生きていくことさえ困難だと経験してきた。土地を追われ、貨幣が紙くずになる恐れがあれば、頼りにできるのは自分の能力と知人しかいない。中国人は人的ネットワークの形成の中に将来の可能性を見出していると考えられる。
 さて、現代社会を見てみよう。人々は組織に所属しているとは言っても、個人の役割や責任は明確に決められており(そのため効率的な運営が可能だが)、それに沿って個人は働くことを要求されている。個人は自由であるが、同時に個人への負担は大きく、周辺との人間関係は弱くなる。そのため、任務を遂行できない者や関係者との連携が下手なものは孤独に陥りやすい。日本はかつてお互いにお世話をしたり、面倒を見合う、緊密で暖かい社会であった。でも同時に過剰な干渉による煩わしさも伴っていた。
 人々が周辺からの干渉やお付き合いの煩わしさを避けるようになると、気楽で自由気ままな生活が送れるようになったが、へたをすると孤独と孤立への危険な道も用意されていたのである。隣近所付き合いを避けるようになると、地域コミュニティーが脆弱になった。その挙句の果てが、百歳老人の行方不明、母親による幼児虐待、家庭内暴力、いじめなどの負の遺産の形で現れるようになった。
 一方で、現代社会はより多くの消費をした者や多くの権勢を奮える者が勝ちであるという進歩思想に覆われている。大量生産・大量消費の快適な社会が意味するところは、石油や石炭などの固定化された炭素の大気中への大量放出だ。つまり、この世で、より多くの炭素を大気に放出できる者が優れていると信じられてきたにすぎない。地球温暖化などの環境破壊は人間の存亡を脅かしている。そのために、科学技術を発展させ、これらの問題を解決しなければならないという議論は理解できる。
 しかし、もっと大事なことは何のために生きているのかという根本問題を考えることである。人間の存在の意義と幸福の原点を考えると、人々の絆を取り戻すことが重要であると思う。人々をバラバラにしている原因を突き止め、それを排除することが大切である。現代文明の病根を排除しなければ、科学技術がどんなに進歩し諸問題が解決されたとしても、人々は孤独などの苦痛からは逃れられないのではなかろうか。
 中国は高度経済成長を享受しているが、まだ人々の絆は強い。親子や親戚の間だけでなく、友人を大切にしようという気持ちは強い。情熱家が多いのだ。この日中の差は文化の差に依存しているが、工業化社会をどれだけ長く経験したかの差が大きいと思う。日本は工業化社会を長く経験し、人々の関心が消費に向かい、人間関係が弱くなった。中国人は消費に貪欲になっているが、気が付いてみたら孤独になっていたということもあり得る。中国人は先を走っている日本に学ばなければならない。そして、日本人は中国を観察して、失ってしまった絆を取り戻す努力をしなければならない。
 僕はこう思う、人間は猿から人間になって失ってしまったものがある。文明を築くようになって失ってしまったものがある。近代を迎え神を殺して失ってしまったものがある。大量消費社会を享受して失ってしまったものがある。失われたもののひとつは絆である。その他の失われた大切なものは何かを思い起こすことは不可能だと思う。ただし、失われたものは本当に大切なものであると信じ、それは何かを知ることはできなくても、それを探す旅を続けることが大切である。そこに人生の意味があるし、それによって人間は狂気に晒されることなく正常でおられると思う。
中国人の熱い気持ちに接していると、このようなことを考えさせられる。(2010年9月3日)

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