ツボは実在しないのになぜ鍼灸が効くのか

 僕は週に一度くらい、北京のマッサージ店に通っている。持て余した時間を潰すためという理由もあるが、マッサージを受けた後は、身体が軽くなり、足のむくみも取れて、靴が大きくなったように感じられる。その日、ぐっすり眠れるのも有難い。それに、若い女性に身体を触られるのは悪い気がしない。でも最近は、より強い刺激を求めて、もっぱら男性マッサージ師にやってもらっている。誤解しないでもらいたい。
 また、中国語会話の練習になったり、地方から出稼ぎに来ている彼らの意識調査にもなるので、マッサージ店通いのメリットは大きい。屈託のない彼らとの交流にも安らぎを覚える。

酸痛
 マッサージはツボや筋肉を押したり、さすったりする。マッサージは中国語で「按摩」というが、按は押すことで、摩はさすることだ。ツボをマッサージすると、血流がよくなり、悪いところが治癒され、健康になるという。ツボを押された際、痛いと感じる時は悪い部位がある証拠という。健康な時は、ツボは痛いような、気持ちのいいような微妙は感じを受ける。辞書にはだるくて、痛いと書いてあるが、僕の印象と違うのだ。中国語では「酸痛」と言うが、これがピッタリの表現かも知れない。酸痛は日本語には適訳がないが、直訳すると「すっぱい痛さ」だ。少し痺れて痛いが、慣れると気持ちがいい。効いているという実感が持てる。なお、ツボは中国語で「穴位(シュエウェイ)」と呼んでいる。
 ツボとツボの間は経絡で結ばれている。僕は疲れると、腰が重く感じられたり、痛かったりする。腰痛の持病がある。そのため、腰付近のツボを押されると痛みを感じるのは当然だが、足首の上のツボを押されると激痛が走る。マッサージ師は二つのツボの間が経路で結ばれているためだと当然のように言う。実際に痛みを感じるため、経路があると言われれば、そうだと思ってしまう。でも、経路は本当に存在するのであろうか。
 ツボ以外にも筋肉もマッサージしてくれる。筋肉は疲れると、硬くなるので、マッサージで柔らかくする。柔らかくなると疲労が取れたような気になる。ひどく疲れている時には、背中の筋肉が鉄板みたいに硬くなってしまう(実際、何度も「鉄板の背中」と呼ばれたことがある)ので、ひとの手によるマッサージでは効き目がなくなる。
 そこで登場するのが「抜罐子」だ。これも適切な日本語がない。口が開いた円筒形のガラスのなかを炎で熱した後で、口を背中に当てると、なかの空気が希薄になり、皮膚に吸いつく。吸引療法だ。素人目にはうっ血しているように思えるが、悪い気である「寒気」を吸い出してしまうという。少々痛いが10分くらい抜罐子をやってもらうと、背中の筋肉が柔らかくなり、疲れが取れたように軽く感じられる。汗せんが開いているので、その日は風呂に入ってはダメだと言いつけられる。
 全身マッサージを1時間やった後には、足裏マッサージだ。マッサージ店の部屋のなかには、足裏に臓器の絵を描いたものが掲げてある。足裏のその箇所が特定の臓器と経路でつながっているというのだ。痛いと感じるところの臓器が悪いのだという。どのマッサージ師にやってもらっても、指摘されるところは同じだ。

不眠症
 まず、親指の内側を擦られると凄く痛い。これは「失眠」つまり不眠の証。でも軽症である。僕は寝ているときも考えているから、睡眠が浅くなるのは仕方がない。別の箇所を摩られるとまた痛みを感じる。そうやって病気の診断をしてくれるのである。もちろんその場所をマッサージすると、臓器に刺激を送ることになるので、治療効果があると彼らは言うが、これはどうだか分からない。いずれにしてもいつも指摘されるのは、不眠、首筋と肩のこり、胃腸の消化不足、腰痛だ。翻って考えると、これらの症状は職業病のようなものだ。僕の仕事はオフィスワークであるため、長時間座り、ネットで調べたり、考えたり、文章を書いたりする仕事上のストレスの影響から来ている。
 なお、両方の足裏と臓器の関係は基本的に同じであるが。ひとつだけ違う箇所がある。それは心臓だ。心臓は右足の真ん中辺りにツボがあるという。最初にこの場所をマッサージし、心臓を活性化させて、全身に十分な血流を送り始める。その後、左足のマッサージを行い、再び右足の作業に入る。
 さらに、反対の性からマッサージを受けた方が効果があると言う。男性客は女性マッサージ師から、女性客は男性マッサージ師から受けるのは、陰と陽の関係から来るとの説明を受けた。僕はこの説には懐疑的だ。単に異性に触れられるのは気持ちがよく、客足が伸びるからではないのか。正直にそう言ったら、店のオーナーから睨みつけられた。
 僕は年に1、2回定期健康診断を受けている。健康診断は血液検査、レントゲン写真、心電図、超音波検査など西洋医学を基礎に構成されている。そこで診断されるのは、マッサージ師が言うことと随分違う。高血圧、高コレステロール、高中性脂肪、高尿酸値などだ。共通点はなく、すれ違っている。マッサージで分かるのは、不眠、肩こり、胃腸の消化不良、腰痛だから病気と関係なく、重要でないとも言えるが、ひとによってはそれが重大な悩みとなっているのではないかと思う。
 2年くらい前にこんなことがあった。咳が止まらなくなったのだ。日本の医者に診察してもらい、色々な薬を試したが、それでもダメだった。4ヶ月くらい咳が続いた後、漢方医の門を叩いた。専門医は脈を慎重にとると、こう言った。
「咳が止まらないのは、気が身体の途中で止まっているからである。腰付近の背骨がずれていて、それが気の流れを阻んでいる。腰痛と咳は関係がある」
 僕は半信半疑のまま、治療を受けた。整体やら気功やらをやってくれた。首の骨がボギボギと音がした。首がはずれるのではないかと心配だ。治療を2ヶ月間受けるうちに、咳は次第に収まり、いつの間にか通院するのを止めた。どれほど効いたか分からないが、不思議な体験だった。
 要は、漢方医学(中国語では「中医」)と西洋医学の体系が異なっているため、診断結果が異なってくる。どちらを信じればいいのか。
 ところが、漢方医学の名医になると、脈に触っただけで、たちどころにどこが病気かを指摘できるという。まさに名人芸だ。北京で会ったアメリカ人が興奮したように僕に語ってくれた。最近では、中国のみでなく、欧米でも漢方医学の研究が盛んで、西洋医療と合体した統合医療として治療にも応用されている。

ニクソン大統領訪中
 少し科学的な話をしよう。
 鍼灸の治療効果だ。
 1972年、米国ニクソン大統領が電撃的な中国訪問をした際、同行した記者が虫垂炎に罹り、それを鍼麻酔で手術を行ったことを、大統領自身が記事で報道し、米国で鍼麻酔ブームを引き起こすきっかけになった。でも真実は、鍼を施したのは、手術中の麻酔ではなく、手術後の違和感や痛みの改善であった。いずれにしても、鍼灸治療の研究が欧米で盛んになり、WHO(世界保健機構)も鍼灸治療が数十種の疾患に有効であると発表するまでになった。
ツボの解剖学的研究、ツボの電気抵抗の測定、鍼の刺入による内臓の動きのX線による記録や心電図による心臓の反応などが熱心に研究された。だが、これらの研究はすべて挫折した。ツボが解剖学的に発見できないのだ。不思議である。誰もがツボを感じるが、それが解剖で確認できないのだ。中国4,000年の鍼灸の歴史の謎はまだ暴かれていない。
 鍼灸をツボに刺入する治療を受けた場合、被験者の50%以上に痛みの軽減などの明らかな治療効果が認められている。一方で、偽の模擬治療を受けた被験者でも40%以上に同様の治療効果がみられている。この40%はプラセボ効果によるものである。この10%の差を大きいと見るか、小さいと見るかは意見が分かれるところである。プラセボ効果は製薬会社の大きな悩みだ。巨費を投じて新薬を開発しても、プラセボ効果を明らかに上回る効果を出さなければ、新薬として認定されない。

プラセボ効果
 視点を変えると、プラセボ効果がこんなに大きいということは、脳の働きが凄いということにもなる。脳は偽物の薬でも、本物と同じように機能させてしまうのである。脳機能は恐るべし。やはり、「信じる者は救われる」や「病は気から」は実社会で真実なのだ。
 プラセボ効果は、薬を服用した精神的安心感が自律神経に働きかけることによって引き起こされる。怒ったり、緊張したりすると、心臓がドキドキする。これらは誰もが経験するが、生理学的にはまだ解明されていない。なぜか。
身体の神経には、体性神経系と自律神経系がある。体性神経には大脳皮質に感覚情報を伝える感覚神経と身体を動かす命令を大脳皮質から筋肉に伝える運動神経がある。体性神経の中枢は大脳皮質である。一方、自律神経は我々の感覚や意志とは無関係に(だから、“自律”神経と呼ばれている)、身体機能の調節を行い、その中枢は脊髄と脳の間の脳幹部にある。しかし、驚くべきことに、体系神経系と自律神経系を結びつける神経の連絡路は見出されていない。教科書にも、体性神経系と自律神経は別のものとして記載されている。
プラセボ効果は未解明なのだ。薬を飲んだから病気が治るというのはほとんどのひとが経験済みであるが、科学がこんなに進んだ現在でもその理由は分からない。精神が緊張した時、心臓がドキドキする理由も分からないのだ。
 鍼灸の話に戻そう。
 鍼灸によるツボの刺激で引き起こされた電気インパルスは感覚神経を伝わって。脳の基底核まで達し、ここで脳の血管を支配する自律神経に「飛び移り」、この結果、自律神経から放出される化学物質のアセチルコリンにより脳血管が膨張し血流が増加し、偏頭痛の原因となっていた化学物質が増大した血流によって洗い去られると考えられている。問題は感覚神経から自律神経への「飛び移り」である。この神経連絡路が解剖学的に発見されていない。
 また、電気インパルスの伝わる神経経路は、残念ながら中国医学が主張するツボをつなぐ経路とは無関係である。この事実により、ツボと経路の存在が否定された訳ではないが、中国医学会は真っ青であろう。

「ゆらぎ」
 さて、議論を先に進めよう。
体系神経系と自律神経系の連絡路は発見されていないと述べた。最近の研究では、自分で血圧の測定値を見ることにより、それを低めることに成功したという論文も出ている。脳のアルファ波発生も意識でコントロールできるようになったという。前頭葉の「ゆらぎ」を見れば、グリーン上のパットが外れるかどうかを予測できるという論文まで発表された。膨大な練習を積んだプロでも、短いパットを外す理由は不定期に起こる「ゆらぎ」である。プロにとってみたら、才能や努力と無関係の「ゆらぎ」でパットを外し、賞金を逃がしたら悔しくて仕方がないだろう。だが、「ゆらぎ」はコントロールできるとも言うのだ。欧米のプロゴルファーは脳科学者の指導で「ゆらぎ」を抑制する修練に取り組むようになっている。
 僕は、体系神経系と自律神経系の連絡路を解剖医学的に発見しようという試みはナンセンスであると思う。秘密は脳機能に隠されている。連絡路が無くても、我々の経験が示すように、両者は“連絡”しているのである。そこが脳の凄さである。脳は各部位が機能をある程度分担しているが、各部位の相関関係が強く、また複雑である。その情報ネットワーク構造を理解した時に、プラセボ効果が理解できるのであろう。
 社会、環境、感覚器、脳、心、言語などの関連性や高度な精神活動など人間であることの根幹への科学的アプローチはまだ見出されていない。考えてみるがよい。人間が持つ情報処理能力の素晴らしさを。そして今まで人間が築き上げてきた文明や文化の傑作品を。簡単に脳機能が解明できるはずがないのは当然である。
 我々はひとの話を聞いてから、0.2秒で内容を理解できる。神経シナプスが情報を受け渡すのは1,000分の1秒だから、シナプスを100回ほど介せば脳の情報処理は終了する。わずか100回のステップで高度な知的活動が行われているのだ。コンピューターは1秒に何億回以上の演算をやっているが、人間の知能には遥かに及ばない。
脳科学者の苦悩は続くことである。彼らの新発見の喜びのニュースを心から期待して待っている。
 僕はその間、ツボと経絡の存在を信じながら、マッサージを受けることにしよう。プラセボ効果を最大限に引き出すためには、騙されようが、その方が効果が上がるのである。疲労の解消と気持ちよさの追及には適わない。
 さらに、いつか、脳科学者から脳波ゆらぎの抑制の指導を受け、スコア78の新記録を達成したいものだと思っている。(2010年2月)


<参考文献>
『現代医学に残された七つの謎』杉晴夫著(講談社ブルーバックス)
『進化しすぎた脳』池谷祐二著(講談社ブルーバックス)

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この記事へのコメント

Tama
2015年07月11日 23:24
寝ている時も考えてるねぇ…(笑)

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