驚くなかれ、日本も中華思想の国だ!

 日本人はなぜ中国が嫌いなのであろうか。嫌いというよりも「嫌悪」しているといった方がいいかもしれない。近代において相手国を侵略したのは「日本」であって「中国」ではない。それにもかかわらず、中国人の日本に対する憎悪よりも、日本人の中国に対する嫌悪感の方が勝っているような気がする。世論調査によると、7割の日本人が中国に対していい印象を抱いていない。多くの日本人は中国を「生理的」に受入れていないのだ。これは私がずっと抱き続けてきた疑問である。なぜか。なぜなのか。
 中国を嫌いな理由を日本人に尋ねると、色々な答えがすぐに跳ね返っている。中国人はすぐにひとを騙すから嫌いだ。コピー製品を作って、儲かっている。共産主義は脅威だ。自由がない。急速に進む軍拡が恐ろしい。中国人はお金のことばかり考えている。列に並ばない。交通ルールを守らない。トイレが汚い。つばを吐く。威張っている。大声で話し、うるさい。汚染された食物を外国に輸出している。自己中心であり、相手のことを思いやる心が乏しい。少数民族を弾圧している。もうすぐ日本はGDPで抜かれ、そのうちに飲み込まれてしまう。拉致問題の犯人である北朝鮮をかばっている。
 以上のような意見は理性的なものもあるが、感情論も多く含まれている。日本人だけの宴会の席で、中国や中国人の悪口を言い出せば、「場」が盛り上がり、酒が美味しく感じられる。溜飲が下がるのだ。なぜ、そんなに中国のことを嫌がるのか。
 もっと理性的な議論もある。日中両国の文化はそもそも異なるのだとの議論だ。中国の歴史は王朝が変わる易姓革命を特徴とするが、日本は万世一系の天皇を君主としていただいてきた国であった。天皇制度の維持は戦乱が少なく比較的平和な社会を形成してきた。また、中国は抽象論志向で華麗で壮大な大陸文明で、フランスに近い。それに対して、日本は誠実で真面目で約束を守る武士道の海洋文明で、アングロサクソンに近い。あるいは、中国は文明の発展のために国土を酷使し、自然を破壊し、大改造を行ってきた。日本は先進工業国としては珍しく、現在でも国土の6割が森林に覆われているように、古代から自然との共存を重視してきている。中国と日本の文化や文明の性質は水と油のように異なるのだというのである。
 歴史学者のトインビーや文明学者のハンチントンも日本文明は中国文明とは異なった発展をしてきた特有のものだと指摘している、と胸を張る日本人学者もいる。中国文明が日本に押し寄せる前に、日本には1万年にわたる世界有数の縄文文明が興り、都市文明が栄えており、それが日本人の精神の基層をなしているという議論も盛んになっている。つまり、中国から文明が押し寄せてくる前に、日本には世界に誇る文明がすでに存在したのだというわけである。中国から導入したものは一部の表層的なものに過ぎないと暗に主張している。
 さらに、文字、律令制度、技術などを中国から導入したのは事実だとしても、日本人の祖先はそれを日本人の身の丈に合うように作り替え、本家のものよりも精巧で美しいものへと昇華していった。つまり、換骨奪胎するほど日本人は本質まで変えたというのだ。わび、さびや虫の音に季節の変化を感じる繊細な感情は日本人特有のものであると、アイデンティティーを求めようとする。
 日本人が日本の文化をユニークなものであると主張するのは、中華思想に対する反発から来ている。中華思想とは言い換えれば、華夷思想である。文明の中心である中華と文明の光に浴しない野蛮人が住む周辺に別れ、周辺は次第に同心円状に文明化していくという考え方である。中原といわれる中国河南省に興った黄河文明が中国大陸で拡大しつつ、北は中国東北地方やモンゴル高原まで、西は河西地域から新疆やチベットまで、南はベトナムまで、そして東は朝鮮半島を経て日本まで文明の恩恵が広がっていった。長い歴史の過程で、北方民族や西方民族は時に中華文明地域に侵攻し、それを征服したが、やがて中華文明に同化されていった。鮮卑族、契丹族、モンゴル族、満州族はその例である。中華文明を嫌悪し、去った民族もいる。匈奴はアジアの西に去り、フン族になったとも言われている。
 一方、朝鮮と日本の中華文明に対する考え方は異なっていた。朝鮮は中国の政権に長い間支配されてきたこともあり、中華文明の影響を色濃く受けている。中華文明の優位性や意義を認め、時として中華文明の誕生に深く関与した、あるいはその正統な後継者であるという極端な議論を展開することもある。孔子は朝鮮人だった。漢字は朝鮮人が発明したというのはその心理の現れである。
 朝鮮人は日本人に対しては、中華文明を教授してきたという自負と優越性を感じている。日本が野蛮な状態から文明化したのは、朝鮮のお蔭だと自慢げに言う。帰来人は天皇の祖先であったし、帰来人が社会制度や技術を日本人に教えてやったのだと。日本人からみると、朝鮮人はミニ中華思想のシンパのように映る。
 日本人の中華思想に対する態度は、すでに述べたように、日本文化は中華思想とは一線を画すものだというものだ。これは国民のコンセンサスがとれているように思える。
 このリポートの目的は本当にそうであろうかという問題提起である。冒頭述べたように、日本人が中国を嫌悪するのはなぜかという疑問である。両国の文明や文化や人々の考え方が異質である。そのために、相容れないのであるという議論は一見分かりやすい。しかし、もうひとつ別の見方もある。世界的視野でみると、日本も中国も実はかなり似通っている。それがために、両国は嫌悪し合う。例はよくないかも知れないが、中核派と革マルは大局的に見れば思想や目的は類似のものであったが、実際はその正統性を巡り、内ゲバという血なまぐさい闘争を繰り返していた。近親憎悪である。
 ただ、中国と日本の場合では、中国人は、日本は中華文明の影響下にあると認識しているため、文明の位置付けを巡って中国側にわだかまりはない。しかし、日本は歴史上長い時間をかけて中華文明の文物や文化を受入れてきたため、その影響が日本文化のなかにどの程度根をおろしているかは非常に重要な問題である。アイデンティティーに関わってくるからである。繰り返すが、日本の学者も国民も中華文明の影響は比較的少ないと認識し、安心している。

 中国という名称は世界の中心の国という意味である。要するに、文明の中心である。一方、日本という国号は大宝律令制定の前後に定められているが、太陽の下の国であるという意味である。つまり、光り輝く大地の中心とも解され、中華の匂いが漂う。
 天皇という名称はどうであろうか。古代中国で神格化された北極星を意味する「天皇大帝」が天皇の起源であるという説が有力である。天皇が北極星に位置し、その他の国や庶民がそれを中心にまわるという構図である。また、中国の神話と歴史は三皇五帝から始まると言われる。三皇は異説もあるが、天皇、地皇、人皇を指すとされている。中国歴史の父である司馬遷は、三皇は神話であるとして、五帝から『史記』を書き始めている。いずれにせよ、三皇のひとりにも天皇が現れる。偶然の一致とは言え、天皇の名称の起源は、中心=中華の考え方を受け継いでいる。
 当時の倭国が中国の皇帝に対して天皇を名乗ったのは、小野妹子が隋の煬帝宛に持参した2度目の国書であった。『日本書紀』には、その国書に「東の天皇、敬しみて西の皇帝にもうす」と書かれたと記録されている。ただし、この記録は中国の史料にはない。『随書』「倭人伝」に記録されているのは、「その国書曰、日出ずる天子、書を日没する処の天子に致す」という有名な記述である。受け取った煬帝は不愉快であったようだ。天子が二人いるはずがないためである。面白いことに、この国書の記録は日本の史料にはない。二つの国書のうちお互いに都合のよい記録だけ残されたのであろうか。それとも、そもそも国書はひとつであり、どちらかが改竄して記録した可能性も考えられる。
 ここでの議論のポイントは、中国の皇帝のみでなく、日本の天皇も中国と対等な天子と名乗ったことである。日本が中国の華夷思想に組み込まれたくなかったという解釈もなりたつが、相手と同じ論理で反発するほど日本も華夷思想に染まっていたと考えられない訳ではない。
 時代は下がる。豊臣秀吉は1592年から朝鮮出兵を行う。最終的な目標は明朝を倒し、皇帝になることであった。中国の周辺民族は中原の征服に憧れていた。それを歴史上で実現したのは、モンゴル族と満州族であったが、野望に満ちていた民族も多かったに違いない。豊臣秀吉もそのひとりであった。日本統一に飽き足らず、中国大陸の中原を手に入れようという発想は、中国歴代王朝や周辺民族と変わりはない。華夷思想が浸み込んでいたからである。
 徳川家康は日本統一という野望を実現したが、中国大陸進出は断念した。秀吉の失敗を見ていたからであろう。しかし、彼はその野望は抱いていたと思われる。家康が葬って欲しいと遺言した日光東照宮の本社の正門には、中国の天子である「舜帝朝見の儀」が彫られている。舜帝は中国の賢帝のひとりである。一説によると、この舜帝は家康自身をなぞらえていると言われている。家康も中国の皇帝になりたかったのではなかろうか。
 さらに、平成という元号は、舜帝の「内平外成」から引用したものである。中華文明はいやおうなく日本の文化の中枢にまで及んでいる。私は個人的には次の元号は万葉集からとった「ひらがな」にしてもらいたいと秘かに考えている。
 時代は更に下がる。日本帝国主義による中国大陸侵略である。なぜそういう愚かなことをしたのか、理由は色々あるであろう。西洋列強に伍していくためには避けられない選択であったとも言われている。今までここでは、まったく異なった視点から考えてきた。中華思想との関係における日本の振る舞いである。
 1848年の阿片戦争の敗北によって、中国は西洋列強国の影響下に入った。あの燦然と輝いていた中華文明は色あせた。自ら改革を断行し、近代化の道を切り拓けなかった中国はもはや日本の模範とする国ではなかった。日本から見ると、中華思想の本流を行く国とも認められなくなっていた。1921年、上海を訪れた芥川龍之介も中国の頽廃を嘆いている。もはや中華文明=東洋文明を受け継いでいるのは中国でなく、日本であるという過剰意識がもたげていた。中国が体たらくならば、日本が中国人民を率いて、中華文明を再興してやる。他の北方民族や秀吉が成し遂げることのできなかった野望を優秀な大和民族の手によって実現してみせる。国家を精神心理学的観点で分析すれば、日本はアジア諸国の解放を大国中国に代わって実行しようとしたのである。
 現実は東洋の反乱は西洋列強によって封じ込められた。日本は自由主義陣営に所属し、経済的繁栄を謳歌してきた。戦争に敗れて、中華思想は遅れたものだと悟り、深層心理に閉じ込めてきた。しかし、生まれは争えない。時々芽をだす。日本人の経済的、文化的に遅れたアジア諸国に対する優越感は華夷思想のひとつである。日本国内における都市と地方の文化的格差も華夷思想のひとつである。人生の成功は都市にあるとばかり、中心を目指したがる。一寸法師の古代から日本人は農村から都市に憧れてきたのである。中国人の発想と同じである。
 日本人とは何かという議論は長く続けられてきた。私は、日本人は「二重人格者」の性格を帯びていると思っている。日本人は特殊な優れた文化を持っているという自負、そして否定しきれず身に浸み込んでいる華夷思想を併せ持っているようにみえる。
 東アジアの盟主は中国か日本か。中国がGDPで日本を超えようとする現在、日本が中国に対抗するには、日本文化の特殊性で戦うべきか、それとも、中華思想の正統性を引き継ぐ国として競争を行っていくべきかの選択に思い悩んでいるようだ。おそらく、日本は特殊な文化を持ちつつも、米国などの民主主義国と価値観を同じくするという発想で、盟主争いをするであろう。歴史、人口、面積など総合的国力を考慮すると、日本にアジアの盟主争いの勝ち目は薄い。
 日本は西洋の自由、人権などの近代的民主主義の価値観を取り入れ、「三重人格者」となっても、それらの矛盾による精神的苦痛に耐えて、混成された新しい文明圏としてのアジアの創設に貢献していくべきであろう。協力と競争。握手とピストル。援助と恫喝。日本にはあらゆる試練が待ち受けている。


<参考文献>
『国民の文明史』中西輝政著(産経新聞社)






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この記事へのコメント

ごは・・通りすがりですよ
2014年02月28日 01:08
通りすがりです。

日本のは中華思想ではなく大和思想だと思います。
中華思想に見えるのは大和思想で中華思想を吸収してしまったからです。今は、キリスト教文明の罪の文化で、戦争犯罪があーだこーだとウジウジしていて、日本人らしからぬ世相になってます。
日本文明の本質は中華文明の中庸一点張りではなく、保守にして革新で可能な限り多様性を保つものだから、とても古い伝統や千年数百年企業と世界をリードする科学や文化を併せ持っているんだと思います。

しかし、万世一系の天皇家と華夷秩序は政権の正当性を語る上で非常に相性が抜群で、清國皇帝を臣従してしまったことで自動的に中華文明の長にまでなってしまった事と、世界に皇帝(天子)は日本国天皇ただ一人なった事で、中華文明圏は危機を迎えています。
天子無き秩序で国体を維持する為に、中華文明のシステム(華夷秩序や漢字など)そのものを完全に壊して創り直さなければならず、正史として不都合な歴史を改竄捏造しなければなりません。

だから、支那人(中国人というのは詐称である)は、天皇を羨んで拝金主義なのに金銭度外視してスパイを送り込んでまで天皇制打倒を叫ぶ。だけど、中華思想の支那人は天皇に触れたらヤバイ事を日本人より理解してるので、反日デモでは総理大臣の顔写真が焼かれるw
中華思想の代替物には共産主義(文革で文明破壊→創造)、中華思想の民草が天皇に惹かれて政権が揺らぐから反日政策、毛沢東が漢字をローマ字に替えようとしたエピソードも。

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