文殊菩薩の呪い

 高速増殖炉原型炉「もんじゅ」がナトリウム漏れ事故を起こした15年前、私は「もんじゅ」を所管していた動力炉・核燃料開発事業団北京事務所に勤務していて、休暇をとって訪問していた台北でそのニュースを聞いた。まさかこんなことが起ころうとは思いもよらない事故だった。ビデオ隠しが発覚して、動燃への信頼性は揺らぎ、15年という長期間にわたり「もんじゅ」が再開されることはなかった。
 私自身、台北旅行から北京に戻るとしばらくして、親元の科学技術庁に急遽戻るように命令を受けた。「もんじゅ」対応で人手が掻き集められ、不足した部署への人事異動となったのだ。予定より半年早く北京を離任することになった。
 歴史は繰り返す。
北京駐在二度目の北京駐在を終える一ヶ月前の今年8月26日、悲願の運転再開にこぎつけた「もんじゅ」は再びトラブルを起こす。炉内に燃料を送り込む重量3トンの炉内中継装置が2メートルの高さから落下し、その衝撃で装置が変形し、炉内中継装置を引き上げられなくなったというのである。原因は炉内中継装置を引き上げる際の「つかみ」の部分が緩んでいたとの見方だ。
 今回の私の人事異動は「もんじゅ」とは直接関係ないが、帰国後原子力研究開発に携わることになる。「もんじゅ」のこれら2回の事故とトラブルは私の北京駐在からの帰国にタイミングがピタリと合っている。何らかの因縁を感じざるをえない。
 ナトリウム漏れに続く炉内中継装置落下の原因は科学的に解明されるべきであり、なんらかの回答が得られるにちがいない。
 私は世俗とは別の視点で考えてみたい。そもそも「もんじゅ」という命名である。生まれた子供に名前を付けるのは親として大変思い悩むものである。子供の将来に大きく関わるからである。レストランや居酒屋も名前によって客の入りが大きく異なるであろう。美味しそうな名前でないと、中に入る気がしない。
 「もんじゅ」は文殊菩薩から来ていることはまちがいがない。原子力という暴れん坊を猛獣に見立てて、文殊菩薩と同じようにその暴力を科学技術の智恵とワザで抑え込み、人類のために有効利用しようという意図が見え隠れする。私はこの意図は理解できるし、その発想に賛成である。
 しかし、宗教用語である「文殊菩薩」の名前からとったのは、科学技術者たちの驕りであったのではなかろうか。我々は人間の社会に住んでおり、人智を駆使して人類の幸福と繁栄のために努力すべきである。しかし、人間が容易に近づいてはならない神仏の領域や理解不可能な世界が存在するという意識が希薄ではなかったのではなかろうか。森羅万象のすべては、科学の力で解明できると信じていたのではないのか。
 人間はおどろおどろしい世界と背中合わせに生きているのである。こんなことを言うとおかしな奴だと思われるかも知れないが、そうでなければ宗教や迷信や占いが消え失せない理由が説明できない。祟りが起こってからでは遅すぎる。
 「もんじゅ」の開発責任者だって、元旦に無事を祈願するために神社に参ることであろう。安易な命名は宗教世界への踏み込みであったと思う。科学技術に携わる者は、人間社会での科学技術の振興に専念すべきであり、ゆめゆめ神仏や妖怪の世界と関わりを持ってはならない。
 「もんじゅ」には「ひまわり」、「たいよう」、「きぼう」、「みらい」など子供からも愛される簡単な名前がふさわしかったのではなかろうか。(2010年11月30日)

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この記事へのコメント

http://www.fetang.com/
2013年07月31日 16:33
お世話になります。とても良い記事ですね。

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