エッセイ「渤海湾を西から東に飛んだとき」

 9月28日午後2時15分、僕は羽田行きのJAL24に乗るために、事務所から北京首都国際空港に向かって出発した。日本に帰任するためである。4年間僕と一緒に働いた中国人スタッフは涙ぐんでいた。過去を振り返ると、こんなに長く一緒に働いたスタッフは初めてだった。毎日顔を合わせていたのだから、気持が親密になる。僕も感謝の気持ちでいっぱいだった。
 でも、僕は感傷に浸るわけにはいかない。普通の出張のために北京空港に向かうのとはちがう。若干の不安があった。今となってはバカバカしい話かもしれないが、空港で訳もなく誰かに拘束されるかもしれないと当時わずかに不安感を抱いていた。なにしろ、フジタの職員も訳もなく公安に拘束されていたのだから。二匹目のドジョウになっても不思議ではなかった。
 空港のJALカウンターでチェックインする際、偶然知り合いの日本人女性に遭遇した。北京で数日観光し、日本に帰るという。意外な面会である。すでにチェックインをしていた彼女の座席をキャンセルさせ、僕の隣に座ってもらうことにした。いやだと口で言っていたが、まんざらでもないらしい。中国に駐在していると、女性に対して積極的な態度になるから不思議な気がする。日本では、セクハラと疑われないように神経をとがらせなければならないが。
 彼女とおしゃべりながら出国手続きやセキュリティーチェックを終え、ラウンジでトマトジュースを飲み始めたとき、ほっと一息ついた。彼女はパスポートチェックの際、帽子を被ったまま通過した。かわいい子は中国の審査官でも甘いのかもしれない。そして、そうだ無事に出国できた、難関を突破できたのだと実感した。拘束されなかったのだ。
フジタ職員が拘束された際の中国当局の手口は特殊ではない。ここでは詳しく書かないが、僕の小説『紅い北極星』(未発表)にも彼らの外国人トラッピングの手段について触れている。ガイドやタクシー運転手がグルになっているケースもある。フジタ職員が読んでいたら、もしかしたらもう少し慎重だったかもしれない。残念である。
 前日の北京駐在の最後の夜は、アパートの日本人単身赴任者と一緒に北京ダックを食べ、例によって7名でナイトクラブに出かけた。店に入るや否や雰囲気がおかしい。予想通り、10月1日の国慶節(新中国創設記念日)を控えて、公安の監視が厳しくなっている。別にスケベなことを店でやるわけではないが、部屋に案内してくれた男の服務員に何があったかと質問すると、幹部相手に公安がセミナーを開催しているという。店内での過度なサービスや女の子のテイクアウトは許すなと教育しているのだろう。別にそんなことをやる元気もないが、最後の夜というのに、水を差されたような格好になった。
 でも数分で公安が帰り、通常営業に復帰した。僕の話の相手や一緒に歌ってくれた子は紀香という名前だ。よく見ると、藤原紀香に似てないわけでもない。日本の紀香よりもグラマーだ。ゴクリと喉が少し渇く。僕は偽物かもしれない高級ウイスキーを熱心に飲み、歌える中国語の歌をすべて歌って満足した。これで当分の間、中国に来ることもあるまい。チップはいくら欲しいと紀香に聞くと、五百元とぬけぬけと返事する。僕は三百元しか渡さなかった。これで十分だ。総じて、満足な夜だった。
 新たに中国に駐在したり、旅行したりする日本人にこっそり言うと、中国人女性とホテルの同じ部屋に宿泊した場合には、ホテルから宿泊客のIDカードと氏名がすぐに公安に通知され、場合によっては30分以内に公安がやってくることがある。こんな簡単な手口で公安に捕まった有力政治家や経団連の幹部がいるという噂(実話だが)が後を絶たない。中国に男性駐在員を送る企業はこれくらいの教育はしておくべきであろう。併せて、大陸に行って急にモテルようになっても、舞い上がらないよう注意喚起しておく必要がある。悲しいかな、やってもほとんど効果がないとも聞く。男の性(さが)なのか。騙される日本人男性は後を絶たない。
 中国人の間では日本人はスケベな民族と知れ渡っている。昼はジキル博士みたいに真面目だが、夜になると突然ハイド氏みたいに変身すると思われている。しかし、それは都市伝説だ。中国人の日本人観は色好きなのだが、実はだらしなく脇が甘いだけである。日本人のセックス回数は世界最低レベルである。米国人とロシア人と比較すると同じ種というのが信じられないくらいだ。比較的低位にある中国人と比較しても、その半分の回数である。日本人はそのうちに絶滅危惧種に指定されるかもしれない。
 僕は羽田行きのJALに乗り込んだ。日本に帰れば、好きなだけ中国批判ができる。駐在員では書いたり、発言したりしにくいことが、日本では自由にできる。でも、北京駐在の際にブログを日本語で書いていたが、アクセス禁止になることはなかったので、当局にとって僕のメッセージは許容範囲だったのであろう。そもそも、中国が日本に害を及ぼさない限り、僕には中国を特段批判する気にはなれない。中国の政治体制や文化は中国人が決めることだからである。ただ、知的好奇心から中国に関心を持つことは許されると思っている。
 JALが渤海湾上空に差し掛かると、ついうとうとしてしまった。僕は飛行機に乗るのが嫌いなため、夜行便を除いて通常寝たりすることがない。出国に当たって当局のお咎めがなく、ほっとしたためだろうか。それとも、紀香にウイスキー山崎をしこたま飲まされ、二日酔いで疲れていたためだろうか。天空も晴れ、快適なフライトだ。天も僕の帰任を祝福しているのだ。
 しばらくすると、フライトアテンダントが夕食を運んできた。二種類のメニューのうち、どうしてかドライカレーを勧める。僕は昼食にココ一番のカレーライスを食べていたので、もうひとつの中華にした。一口食べて、なぜフライトアテンダントがドライカレーを勧めたのかを理解した。まずいのだ。こんなまずい機内食を食べるのは初めてだった。中国での最後の食事(まだ中国領土の上)がこれだとはとがっかり。フライトアテンダントが食器を回収しに来た時、ほとんど口をつけていなかった食事を見て、口に合わなかったでしょうかと恐縮したように言った。今日は食欲がないんですと僕は答えた。我々はともに真実は分かっていたのである。
 なにはともあれ、僕は羽田に着き、優先的に出てきたスーツケース2個を係りの人に取ってもらい、日本に入国した。4年間の駐在が終わった。すべては終わった。明日から新しい人生が始まるのだと実感した。
 翌日から三日連続で知人が歓迎会を開催してくれた。開口一番、多くの人がよくぞ当局に拘束されずに帰って来たと言ってくれた。僕が北京駐在のときは誰一人として、もう少し考えて発言したり、書いたりした方がいいよと注意したひとは皆無だった。仮にそうだったとしても僕がそれに耳を傾けたとはいえない。フジタの話に戻ると、日本のマスメディア関係者には中国政府を強く批判する記事を書いたり、北京に軟禁されている民主活動家と接触して、一時拘束されたりしたひともいる。当時、僕は万一そうなったとしたら、それは日本人として名誉なことではないかと思っていた。だから、僕は共産圏にいても自由だった。
 ただ、本音を言うと、僕は中国政府や共産党を批判することが目的ではない。そんなことに時間と手間をかけたくない。政治体制や政権をどうするかは、あくまでも中国国民の問題だと思っている。僕の関心は中国人社会とはいったい何なのか、日本とどこが異なるのかということである。それを思索する過程で、第三者からみると、中国に批判的だったり、ときには褒めすぎたりしたことだろう。僕は自分の良心に照らして忠実に中国社会を観測し、表現してきたつもりである。ひとの言うことに耳を傾けないほうがいいと、水木しげるも村上春樹も言っている。他人に耳を傾けることなく、流行にとらわれず(これは非常に難しい)こつこつと真実を追求するのは孤独で辛いものである。ぶれないことが大切だ。久しぶりに会う友人の顔をみていると、そういう思いが募ってきた。
 そして、日本人が民族意識を高揚させているのに驚いた。尖閣諸島での漁船衝突事件とそれを巡る中国政府の対応に日本人がプツンとなっている。中国はけしからん、軍備増強だ、中国包囲網を作れ、日本原子力研究開発機構とJAXAを統合して原爆を開発しろなど勇ましい言葉が並ぶ。僕は口をあんぐりと聞いていた。今回の中国の態度は世界から非難されているが、日本人のナショナリズムに火を点けたのは彼らの最大の失敗だったのではないか。2010年9月は日本にとって歴史的曲がり角になるのかもしれない。酒を飲みながら強硬姿勢を示す彼らの意見に耳を傾けながら、僕はまったく別のことを考えていた。
 失われた10年あるいは20年、日本の凋落などと揶揄されるが、それはいったいいつのことだったのだろうか。僕の意見は1995年にひとつの不連続点があったというものだ。この年の1月、東京で地下鉄サリン事件が発生した。僕が通勤していた霞が関駅の近くの路上で横たわっている人々がTVに映し出されていた。彼らに代わって僕がそこにいてもおかしくなかった。しかし、そのとき僕は日本にいなかった。同じ年の3月、阪神大震災で大きな犠牲者が発生した。このときも僕は日本にいなかったのだが、破壊された神戸の街をTVでみながら、恐怖に襲われた。人類がひたむきに築き上げてきた文明はかくもはかなく破壊されるものだろうか。このふたつの事件は日本人の心を傷つけた。民族のトラウマとなり、自信を喪失していったのではなかろうか。でも、僕は海外にいたため日本人とその経験を共有していない。
 ついでに言うと、2001年9月の米国同時多発テロのときも、日本にいなかった。カミカゼ・アタックの文字が英字新聞の一面に出ていたのをよく覚えている。そして、今回の尖閣諸島近海での漁船衝突事故のときも日本にいなかった。これらの経験は日本人の心を大きく揺さぶったはずである。でも、僕がそれらを大多数の日本人と一緒に体験していないことをどう理解すればいいのだろうか。これは弱みか、強みか、それさえよくわからない。ただ言えることはそれらの経験の有無あるいはその違いに意味があると考えることは非常に重要であると思えて仕方がない。この思いを大切にしていきたい。
 さて、帰国して1週間になるが、日本社会がどう見えるかと書き残しておきたいと思う。というのは、中国人の目に日本がどのように映っているかを物語っているからである。長い中国駐在は知らず知らずに現地の文化に馴染み、中国人の視点で物事を考え、感じているようになっているはずだ。
 まず日本の印象は人々が通勤時に下を向いて歩いていることだ。あまり楽しそうではない。満員電車では「忍」の一字である。ひたすら目的地に着くまで、できるだけ何も考えず、何も感じずに身を小さくしている。三十年間も毎日満員電車で通っている人々も少なくはない。大多数の彼らとてけっして楽な生活を送っているとは思えない。好むと好まざるにかかわらず、やり続けなければならない。彼らは言うだろう。みなやっていることだからとか、仕方ないですよとか。これが日本の現状である。
 昼休みに外にそばを食べに行った。座れない客はきちんと一列に並び、順番が来たら、小さい椅子に座って注文した食べ物を黙々と食べる。私語をするものはいない。まるでブロイラーの生産工場だ。終わったらさっさと帰ることが義務つけられている。軍隊のように見えないこともない。
 赤信号ではみんな行儀よく変わるまで待っている。中国人は信号機は見ない。クルマの動きを見ている。クルマには轢かれても、信号機には轢かれる心配がないからである。日本人は規則を守ることが強制されている。中国人はクルマはひとを轢かないと信じているので、身を投げ出して道を横断しようとし、実際にクルマは直前で停まるのだ。
夜になると人々の表情が一変する。僕の事務所がある神田には怪しい「コスプレ焼肉」がある。コスプレ姿の若い女の子が焼肉を持って来てくれる。ただそれだけなのだ。何が面白いのかと中国文化を背負っている僕は考えるのだ。
 やはり日本は疲れると思う。多くの中国人も日本はおカネを稼ぐ場所とは思っていても、おカネを使う場所とは思っていないだろう。
 中国の紀香のことが頭をかすめる。でも、中国に戻るわけにはいかない。僕は日本の生活に慣れていくしかないんだ。そう、日本は僕の祖国なのだから。(2010年10月7日)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック